2. 高級化粧品のマーケティング

マーケティングの対象は「製品」だけでなく「サービス」まで幅広いモノが対象品となります。ライオン時代のマーケティングの対象は歯磨、洗濯洗剤などの日用品でした。日用品は“トイレタリーズ”と訳されています。マーケティングの仕事は大衆をターゲットにした堅実で地味な仕事だと言えます。そんな業界から華やかな女性化粧品業界、それも高級化粧品へと転職しました。その時に不安に感じたことは、マーケティング手法が異なるので、トイレタリーズ業界で培ったトイレタリーズ・マーケティングの経験が活かせるかどうかでした。
果たして高級品マーケティングが実践できるのか、それも外資で高級化粧品と評判の高い世界の有名ブランド“エスティローダー”、また、職場は女性が多い世界など悩んでいたらきりがありませんでした。トイレタリーズのマーケティングにはそれなりの自信がありましたが、化粧品のマーケティングそのものが初めてです。知っていたことは、化粧品は付加価値の創造が課題であることぐらいで、マーケティングの考え方が基本的に違うのではないかと思っていました。不安で一杯でしたが、まあ、縁があったので飛び込んでみようと覚悟を決めた次第でした。
 
エスティローダー社からアメリカ本土でインタビューがあると言われました。西海岸のカリフォルニア州のビバリーヒルズへ2泊の小旅行を提案され往復チケットが届けられました。海外でのインタビューは初めての経験でした。どんなインタビューになるのか、はるばるアメリカまで行って、オファーされる可能性があるのか、インタビューに臨む洋服はどうすればよいのか、全く分からず不安はつのるばかりでした。特にドレスコードについてはまったくわかりません。わからなければ聞いてみるしかありません。エスティローダー・ジャパンの人事部長に聞いてみました。

「化粧品は華やかなビジネスです。女性中心の職場だから、男性はあまり目立たないほうがよいのでダークスーツにシャツは白、ネクタイはストライブがよいでしょう」と言われました。残念ながら当時はピーコック革命と称して、男性のワイシャツはカラーものが全盛の時代でした。さっそく恥をかかない程度のスーツ一式、ストライブのネクタイ、白いワイシャツなどを購入して渡米しました。時差ぼけでボーッとしながらも、ホテルに夕方チェックインしインタビューに臨みました。ホテルは後でわかったのですが、イーグルズの名曲「ホテル・カリフォルニア」のイメージのホテルでした。インタビューは同ホテル内のレストランでディナーを共にしながら行われました。

さて、どのような質問をされるのか戦々恐々でした。緊張のあまり食事どころの話ではありません。エスティローダーの本社はニューヨークですが、面接相手が西海岸で会議があったので来ていたのでした。
インタビューをしていただいたのはグローバルの責任者であるアルトロー・カルデロスそしてマーケティングの責任者であるビッキー・ケントの2人でした。オファーされていた職務は日本支社のマーケティング部長で、中華料理を食べながらのインタビューが始まりました。後日談ですがインタビューしていただいたケントさんは25年ぶりに日本で再会しました。その時はラプレリー化粧品の社長として日本に赴任していました。縁は不思議なものです。インタビューが始まりました。 
 
Q:「当社の化粧品はどのような化粧品と思いますか?」
A:「高級(プレステージ)な女性化粧品です」当然、渡米前に事前調査をしていましたので答えることができました。
 
Q:「そうですね、それでは高級化粧品に携わる人間はどのような人間でなくてはなりませんか」
A:「やはり高級な人間でなくてはならないと思います」
 
Q:「貴方は高級化粧品のマーケティングに興味を持っているとのことだが、貴方は高級な人間であると自信を持って言えますか」
思わず頭が真っ白になりました。日本人はあまり自己PRが得意ではありません。どちらかと言えば謙虚すぎて、「とんでもありません、私なんか」なんて返答するところですが、それでは相手には通じないとわかっていました。そんなことを言ったら「あ、そう。それじゃダメですね、サヨナラ」とでも言われかねません。日本からはるばる飛んできたので、そんなことでこの機会を失いたくないと思いはじめ、
A:「はい、そう思います」と答えました。
すると、すかさずに、
 
Q:「貴方は高級な人間と言いましたが、その根拠は?その理由は?」
この質問には参りました。なにか答えなくてはいけないと思い、即座に
A:「自分は国際的な人間だと思うからです」と答えました。
 
すると、またすかさずに、
 
Q:「それだけですか、他に理由はありませんか」
A:「私は、クリエイティブのセンスがあります」と答えると、再び「それから」の連続です。社交的、友好的、向上心が強い、仕事が早い、経験豊富、エネルギッシュ、明るい、誠実、実直、アグレッシブ、前向き等など、高級な人間である理由を30以上あげました。ついに、「それから」の質問に行き詰まってしまい、最後に「おしゃれ、ファショナブル」と返事しました。そうすると、相手は机をポンとたたき「That is good」その言葉でインタビューが終了しました。
 
妙な質問で終始したインタビューでしたが、いつまでも忘れることができない貴重な経験をしました。高級な人間とはどのような人間なのか。大切なテーマをいただいたと思いました。ドット疲れてしまい翌朝は帰国スケジュールを急遽変更して飛行機の中でした。機中、インタビューの内容を振り返えりながら今後の対策を考えました。果たして自分は高級な女性化粧品のマーケティングができるのか。職場は女性が中心、男性は営業に数人だけでパーセントでいえば1%にも満たない女性社会です。今までは男性社会の中で仕事をしてきた人間です。果たして自分は女性中心の世界で仕事ができるのか。外資は日本の会社と異なり信賞必罰と言われています。果たして自分はドライな世界で仕事ができるのか。などなど。
 
学校を卒業し入社したライオン社は典型的な日本の会社でした。その後、転職したアメリカの医薬品会社マイルス・ラボラトリーズには3年間在籍しましたが堅実で地味な会社でした。マイルス社はドイツに本社のあるグローバルな会社バイエル社にM&Aされ、閉鎖を余儀なくされ、その為の今回の転職のインタビューでした。
 
ドイツ系の会社は日本の会社よりも、日本古来の伝統的な会社だとの評判でした。一度日本の会社を辞めた人間です。元の日本的な環境には戻りたくない、だからチャンスにかけてみよう、なんとかなるだろう。今後は考え方を切り変えよう、ビジネスは前進するのみ、過去を振り返らないで新しい境地を切り開いてみようと考えを新たにしました。前進するには勇気が必要だが、新しい世界が開け新しい発見があるはずだ、などと自己説得するような気持で機中の時間を過ごしました。幸いながら、帰国してまもなく採用通知がありました。
 
話しがすこし外れますが、外出した際、途中で忘れ物を思いだし部屋に取りに戻ることが誰にでもあると思います。忘れ物を取って再び部屋から出る時、私は先ほど通った道を戻ることをしません、遠回りでも必ず別の道を通ります。同じ道に再び戻ることは、エキサイティングではないからです。元に戻るよりも新たな道を歩むほうが楽しいからです。したがって、転職に関しても同様で、日本風土の企業には戻りたくはありませんでした。
40年間のビジネスマン生活を振り返って、歩んできた道が自分にとって良かったのかどうかはわかりません。もちろん過去には戻れませんが、真摯な気持ちで時々考えます。特に最後のエスティローダーでの24年間はどうだったのか。結果から言えば良かったのではないかと思っています。良かった理由はずいぶんたくさんのことを学べたからで、自分に成長する機会を与えてくれたからです。何よりもインタビューでの経験「自分は高級な人間なのか」がその後の大きな命題になりました。今まで育ってきた環境を考えても、私は普通の家庭に生まれ、それなりに苦労してきたので生来から高級な人間ではありません。しかし、高級な人間になりたいという気持ちが若い時から芽生えていたのでしょう。現在の私は、その目標に向かって努力精進してきたとのだと言えます。
 
日本企業から外資のそれも化粧品会社に転職するのは勇気が必要でした。仕事を取り巻く環境、仕事の進め方、人間関係のあり方などが全く違います。女性に囲まれた環境もそうですが、全てが異なる新たな職場でした。
転職に関して、ひとつ言わなければならないことがあります。ライオンから製薬会社に移ったときには、神経の病になりました。多分、新しい環境についていけなかったのでしょう、その時、私は自分が転職したことを後悔していたかもしれません。医者に行って診察してもらいましたが、医者はなにも言わずにじっと私の話しを聞いているだけでした。終わっても何も言わないので余計に不安になり、思わず、「先生、どうすれば治るのでしょうか」と尋ねたところ医者が言うには「貴方の性格を変えなさい」と言われて、思わず沈黙してしまいました。医者からの帰り道自分に言い聞かせました。「自分の性格を変えよう」と。
 
転職の理由は個人的なことで、それなりの理由があるでしょうが、一番大きなことは、学習できる環境か、また、楽しく前向きに仕事ができるか、そして自分が成長できる場所なのかだと思います。金銭的を主な理由にするならば、また別の道もあるはずです。

0コメント

  • 1000 / 1000