19.アラクリティ

「アラクリティ」を初めて耳にしたのは、2000年、エスティローダー本社のCEOに昇格したフレッド・ラングハマー氏(Fred Langhammer)が来日した時でした。会議ではいつも新しいビジネス情報を紹介してくれましたが、そのうちのひとつがこの「仕事はアラクリティ(Alacrity)にせよ」でした。初めて耳にする英単語でしたので辞書を引くと「敏活、敏速、活発、気軽」とありました。「スピーディ(speedy)」と同意語のようですが、響きから格調の高さが感じられます。単に速さだけでなく、それを生じさせる周りの様子を含有する言葉として理解しました。ピリッとした、緊張感のある様子を呈している、それが「アラクリティ」だと了解しました。
 
 
ラングハマー氏は、初代の日本支社長でクリニーク・ブランドの市場導入に成功を修めた功績により、ドイツ支社長、それから本社のCOO、そして最終的には本社のCEOまで上り詰めたドイツ系のカナダ人でした。ローダー家以外の人間がCEOになることは画期的で、同氏の経営手腕が高く評価されていたかがわかります。事実、ラングハマー氏はその後のエスティローダー・グループの発展に大いに寄与し、グループを世界有数のグローバル高級化粧品メーカーに育てあげました。日本語が非常に堪能でウイットにとみ、大柄で腕力が強く、ハンサムで大変な人気があり「貴方はバラの花を漢字で書けますか、ウマ・シカと書いてなんと読みますか」などと得意な日本語を駆使して日本人を困らせる悪趣味もありました。
 
私がエスティローダーに入社した時は、後任のロバート・サイモン社長の時代でしたので、ラングハマー氏とは直接の関係はありませんでしたが、同氏が本社の幹部となってからは一年に数回面談の機会がありました。予算会議などで同席すると問題解決のアイデアを提示してくれました。少し余談になりますが、私自身は、当時の日本人が持っていた外人コンプレックスも無い、むしろ多少自己主張の強い日本人だったようです。日本人として「サムライ魂」を持っていたので、相手が本社のCEOであろうと関係がなく正しいことは正しいと主張していました。したがって私はいわゆる「彼の可愛い部下」ではなかったはずですが、ラングハマー氏は仕事のセンスではさすがCEOらしく、その裏付けになっていたのが「情報量の豊富さからくる適切な意思決定能力」でした。
 
仕事に問題は付きものです。尊敬できる上司というのは部下が問題に直面した時、適切なアドバイスができるかどうかにかかっています。その点からするとラングハマー氏は優れた上司でした。彼はアイデアが豊富で時には私が考えてもいなかった方向を示唆してくれました。その豊富さの理由は、彼が世界70か国以上にわたる市場の総責任者で多種多様な情報やアイデアが彼に集中してくるからです。アイデアの源泉は情報です。その過多によってアイデアの量と質に違いがでるのはやむを得ないと考えて、彼に対する対抗心から同調心へ転換せざるをえませんでした。その彼から「アラクリティ」を耳にしたのです。それからというもの、私は機会のあるかぎり「スピーディ」と言わずに「アラクリティ」を使用していました。そして口にする都度、ラングハマー氏を思い出し「負けないように精進しよう」と覚悟を新たにしていたものでした。
 
「アラクリティ」に関して心しておかなければならないことがあります。上司から「このレポートを提出してください」などと言われると、部下の中には「いつまでに提出すればよいでしょうか」などと聞き返す部下がいます。この質問は全く愚問と言わざるをえません。きっと、上司は部下からの愚問でまた一つストレスが増えているはずです。部下に指示した時には「すぐに作業し、できれば一時間後にでも提出せよ!」と言っているのです。それを「いつまでに提出?」とは、上司の神経を逆なでしていると同じことなのです。
 
社内が「アラクリティ状況」かどうか、常に確認する必要があります。ビジネスを取り巻く外部環境は常に変化しています。その変化に対応するためにも、諸々の意思決定を遅らせることはできません。これは当然のことのようですが、現実にはなかなか敏速に処理されていないのが現状です。「明日に伸ばしましょう、明日まで待ちましょう」そう言って先送りする風潮があるからです。この風潮が蔓延しているのが「お役所仕事」や「大企業病」で、誰も意思決定の責任を取りたくないから先送りしてしまうのです。間違っているかもしれないが、とりあえずアクションを起こすことです。間違っていることがわかればすぐに修正すればよいのです。臨機応変が容認される組織体、これがビジネスの世界では求められています。
「アラクリティ」は周りに活気さを生みます。その活気が幸運を引き寄せます。淀んで沈滞した仕事場には幸運の神様は降りてきません。幸運の神様を待っていてもダメです。幸運の神様の降臨を祈るならば、その環境作りが必要です。それがアラクリティな仕事場なのです。事務処理がスムーズにテキパキと処理されているだけでなく、全員が明るく、楽しく、そして生き生きと仕事をしている状態です。
 売り場のビューティアドバイザーにとって「アラクリティ」とはどのような状態でしょうか。まずはお客様の質問に対して、間髪をいれずにすぐに分かり易く簡潔に応えることができる状態です。時間をかけた返事は自信の無さが印象に残ります。お客様からの質問が無いことは結構なことですが、質問が無いからと言って製品が理解されているとは限りません。販売終了後、「お客様、製品の使用方法等にわからないことはありませんか」と必ず質問してください。これがアラクリティな接客です。これによって、製品購入時に起きるクレームの発生を未然に防ぐことができます。また、購入後のフォローを3日以内にするのもアラクリティな接客です。「鉄も熱いうちに打て」といわれるように、3日以後にフォローしても時はすでに遅しで、熱かった鉄も固まってしまっています。すべての問題を即決するのは難しいでしょうが、なんとなくあいまいのままに放置しておくのは最悪です。日延べするにしても、日時を明確に、一日待って欲しい、明日までに決めます、などと応じる必要があります。
 
この写真は尊敬するエスティローダーの上司、左側がフレッド・ラングハマー、右側がパトリック・ブスケシュバンで、アラミスの世界会議で撮ったものです。

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