34.1983年、マーケティング・マネージャーとして入社 

エスティローダーにマーケティングマネジャーとして着任した時の部下の数は12人、その内2人が男性でした。職務はマーケティングプランの立案と予算管理が主業務で、マーケティング部は新製品担当、コラテリアル担当、プロモーション担当の3部門から構成されていました。得意先は約250店の百貨店と約350店の一般化粧品店でした。百貨店の売上が全体の80%、店舗数では一般化粧品店が多いが売上では百貨店が多く当然のことながら業務は百貨店志向でした。元来、マーケティング部長の下には3部門の他にクリエィティブとPR部門が管理下にあったのだが、私が入社した時には日本支社長の直接管理下になっていました。両部門はマーケティング活動においてはずすことができない重要な部門ですが、これらが管理外ということは、権限面で片肺飛行の状態を余儀なくされていたことになります。後でわかったことですが、私に化粧品の経験がなかったので管理能力に一抹の不安材料があったようでしたが、それよりも、むしろ私が若年であったために、管理される両部門の担当者が反対したことが真実の原因でした。
当時のエスティローダーグループは女性化粧品のクリニーク、男性化粧品のアラミスそして私が担当することになるエスティローダーの3つのブランドを有し、日本支社長はニューヨーク本社から派遣されたアメリカ人でした。社内の組織はブランド別に独立した事業部制が敷かれ、コーポレイトサイドとして人事部、経理部、ロジスティックなどが間接部門として社長直轄となっていました。入社後、まず驚いたのが3つの事業部の中で、エスティローダー事業部だけが赤字で、それが常態化していたことでした。前任者を更迭して外部より新規採用するにはそれなりの理由がなくてはなりません。事業部の黒字化が私に与えられた使命だということが入社して知らされました。外資では、3年間業績が改善されないと解雇されると言われていたので、恐怖感をもちながらも仕事に邁進する覚悟を決めました。

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