1625.事例3:三献茶

戦国時代の真っただ中、豊臣秀吉が出世街道をつっぱしるはじめとなったころの話。秀吉は織田信長より琵琶湖の東岸にある近江の長浜に城をもらい初めての城持ち大名になりました。秀吉は他の古参大名に比べて新参者であったために譜代の部下がいなかったので親戚のつてをたより子供をもらい受けたりして優秀な人材を求めていました。

ある日、秀吉は鷹狩りの帰途、休憩のために領地内のある寺を突然訪れ茶を所望しました。応対した茶坊主は、まず最初に大ぶりのなんの変哲もない茶碗に温めの茶を一杯に入れて出しました。喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干し、そのあともう一杯所望すると、その小姓は、やや小さめの、それも少しデザインが施されて鑑賞用にも耐える碗に、やや熱めにした茶をだしました。秀吉が試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの上等のきれいな碗に熱く点てた茶を出した。秀吉はこの茶坊主の態度にいたく感じ、帰城後部下をその寺に送りその茶坊主を武士に取り立てたという話である。後になりこの茶坊主は幼名佐吉、その後出世をして、秀吉亡きあと天下分け目の戦いの関ヶ原の戦いの西軍の陰の総大将の石田治部少輔三成のことです。

茶坊主は秀吉の立場にたって、秀吉の欲するものを出した。まさしく三成は相手の立場に立って考え、そして応対したのです。秀吉は、この配慮・気配りに感銘したのです。

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